はつおい歯科室べいちょうです。
優しさってそれぞれですよね。例えばですけどうちの子には殆どお菓子をあげませんでした。人によっては彼を「かわいそう」と表現して私を「酷い」と表現するでしょう。一方で、“優しさ” でたくさんお菓子をあげるご家族もいます。そのご家族を多くの方が “優しい” と表現するかもしれませんが 、もしむし歯があった場合、国によっては「虐待」と表現します。
私達は優しさであげない、と決めましたが「厳しい」と言う人が殆どですね。
私は歯科学生で臨床実習をしていた頃、大学病院で子どもの担当をしていました。あそこが痛いここが痛い、お腹が痛い、頭が痛い、と泣きじゃくる子でした。私が心配で話を聞いていると後ろから先生が来て、後ろでしっかり見ていなさいと。先生は「大変だねぇ~」と聞き流しながら泣きじゃくる子の治療をしていました。どういう事?と混乱していると、先生は色々な事を教えてくれました。歯科治療は大人でも受けたくないもので、治療に来てくれただけで凄い事。だけどそこで治療をしないというのは裏切りでもあるんだと。「痛いと言ったら治療しないで帰れた」そんな経験は人生で必ず不幸な結果につながるから、本当に痛いのか、嘘で痛いのか、そんな事はどうでも良くて、「頑張ったら怖かったけど出来た」を経験させてあげないといけない。泣いている子の治療は精神的につらいけど、それでもやらなくちゃいけないから予約を取ったんでしょ。そんな話をしてくれました。
色々な方を見て、それだけが正解ではないと思います。が、それがその先生の優しさなんですね。もしそれを非難するのであれば、なぜ原因であるお菓子に焦点が当たらないのかと、不思議な想いです。フッ素濃度が口腔内で維持される重要性というのが広まっていますが、フッ素洗口は未だに下火の様に感じます。全部の小学校で導入してほしいくらいフッ素は大切です。時にフッ素に反対する人もいますが、ならせめてお菓子をあげないで、と思うのですが、そう都合よくはいきませんね。
優しさと言うのは非常に主観的で、人によっても視点の遠近でも大きく違います。
うちの子はお菓子禁止でしたが6歳になった今は解禁されています。外食をするとソフトクリームを食べますが目がキラキラして幸せそうでこちらまで嬉しくなります。しかし、家では殆どお菓子を食べません。貰い物をしたりして私が食べていると一緒に食べる事が有るくらい。嬉しそうに食べてくれるので、これはあげたくなるよな。と思います。
こんな話をすると過去にみていた患者さんの事を思い出します。障がいをお持ちの方でお母さんがいつも送り迎えをしてくださっていて、ずっとむし歯が無かったのにある時、かわいそうと思ってジュースをあげたら、止められなくなって殆どむし歯になってしまいました。結局全身麻酔でむし歯を治してもらって帰ってきました。(過去の記事でもう少し書いています。)
お母さんは何十年もジュースをあげたかったのでしょうね。優しいからジュースをあげなかったし、優しいからジュースをあげてしまったのだと思います。
ふと思い出しました。昔トイプードルを飼っていまして、冬に散歩をしていました。凄く寒い日で服を着させて散歩をしていると小学生の女の子が「犬にファッションで服を着させるなんてかわいそうだよね」とわざとか分かりませんが大きな声で話していました。私達家族としては寒くて震えながらニコニコ散歩しているワンコを見て、服を買ってあげようとみんなで選んだ可愛い服でした。そんな事を知らなければ、それももしかしたら虐待に見えたのかもしれませんね。犬を飼っていない人からすればそんな寒い日に散歩をさせるなんて!と思うかもしれません。犬に服なんていらないでしょ!と思うのかもしれません。
昔先輩に「世界の中心って何だと思う?」と聞かれて「自分」と即答し「大正解や!」と喜ばれた事を思い出します。全員の中に世界が広がっていて一人ひとりが世界の中心で暮らしています。その世界を押し付けたり、独りよがりだったり、他の世界から干渉して貰えなかったりすると、知らないうちに傷つけたり壊したりするよね、とそんなお話でした。
優しさは正しさとは違いますね。