はつおい歯科室べいちょうです。
洗脳って怖い言葉ですね。漢字にしてみると尚更怖さがあります。
先輩経営者の方のお話を聞いていた時に出てきた言葉です。
僕らの頃はストレスなんて言葉なかったけど、今の人はすぐに「ストレス」って使いたがるよね。
一生懸命自分を洗脳して辛い思いしているように見えて、今の若い人たちは大変だよ。
それを言うと君には世間の言う“ストレス”はなさそうだよね。大変そうだけど(笑)
とざっくりそんなお話をしていました。確かになぁと思います。
詳しく書くと誤解を招きそうなので省きますが、仕事が出来る人って忙しいとか大変とか思っていなかったり、口にはするけどなんだか楽しそうだったり、生き生きとしているように感じる事もあります。
せっかく自分を洗脳するならそういう方が良いよね。必要とされてるなとか、人の役に立てているなとか、自分のレベルが上がっているなとか、そういう思い込みをしたいよね。君はそういうタイプだもんね!僕もそう!
とそんな話になった訳ですが、完全に同意するところですね。
私はどちらも体験があります。前職、勤務医時代、忙しい事も大変な事もたくさんあって、でもずっと楽しかったんですね。ところが、ある頃、これはただ利用されているだけなのでは…。と、そんな疑念を持つと途端に仕事は辛く、“ストレス”に代わりました。魔が差した、とでも言うのでしょうか。周囲からは「洗脳が解けただけでお前以外は安心してる」と言われましたが(笑) でも仕事が楽しいというのは大切な事だし、どんな仕事も楽しめるというのは大切な技術だと思います。私の体験から言わせてもらえば、楽しいと思っていた仕事とストレスと感じていた仕事と、内容は全く同じです。私の外側での出来事は全く同じ事のはずなのに、私の中でスイッチが変わってしまうと途端に真逆の感情が湧いてきて、しかも止められなくなります。こういう時、辛いですよね。今まで好きだったり楽しかったりした事が急に苦痛に変わるんです。しかも今まではポジティブな感情で受け流していた事が怒涛の如く降り注いで…。という事で、感情の原因は自分のようです。
何事も色々な面があって、人によって見ている世界が違っているのはよくある事です。そしてそれは、自分の内面が自分に見せている世界です。人は易きに流れるというのは当然のことで、この場合の易きに流されるとするならば「自分は正しい」「周りのせい」ですね。ご存知の様に人には自己確証バイアスがある上、現代にはSNSという自己洗脳ツールがあります。
まぁそんな話をお酒を飲みながら初対面の方と永遠と話していた訳ですが、やっぱり雇用者と被雇用者、経営者と労働者など立場が逆なのだから世界が逆転しているのも当然だよね、とそんな話に落ち着きました。
私が参加している勉強会では「苦難は幸福の門」という言葉が出てきます。「その行動は美しいか」という考え方も教わりました。「楽だな」と思ったら要注意、という事ですね。それでも、人はそれぞれ、その場その時で最良と考えた行動をとっているはずで、それを正解にする努力と言うのは大切ですよね。今の人は大変だと何度も話に出て来たのですが、悪いところを教えてもらえないというのはさ、自分流でしか成長できないっていう重たい枷を家庭なり環境なりで履かせてもらって、社会に出たらそれは“ストレス”だろうねぇ…。なんてお話もしていました。
世の中にはいろんな常識とかルールとか“ふつう”がありますね。私は「伝説の教師」というドラマが好きだったのですが、(というのを言ってはいけない雰囲気もありますが、)主人公は『常識』という言葉を聞くと「常識ってなんやねん!」「それがお前の正義か!」「誰が決めたんじゃぼけぇ!」とキレ散らかします。
私達もみんな、メンタルブロックと言えるような何かしらを持っていて、自分の中で自分の限界やルールを定めてしまっています。それが自分にとって、5年後10年後の自分にとって、家族にとって、社会にとって、善いものかどうかというのは、見つめ直してみたいものですね。ただ、残念ながらそれは“愚か者には目に見えない服”な訳ですが。願わくば、見えない服を仕立てた詐欺師よりも、「王様は裸じゃないか」と言ってくれた少年でありたいと思いますね。