庭を見て思う。支えられているな。

庭を見て思う。支えられているな。

はつおい歯科室べいちょうです。

何だか忙しいという言い訳で庭の手入れが出来ていないのですが、それでもふと目に留まります。雑草もあるし、雑草なのか意図した草か、分からない草も。

少しの間に急に伸びたり、大丈夫と思っていたら陰でしっかりと生えていたり。
とある記事を読みました。草木の種は直ぐに芽吹くものと休眠しているものとがあるそうです。雑草がたくさん生えると、周囲の土地を気にしてしまうものですが、実は、何年も前の種かもしれない。遠くから鳥や風や人が運んできて、何年も好みの環境を待って芽吹いたものかもしれない。そんな記事でした。

そんな事を考えると、雑草もうっとおしいだけでなく色々な感情が芽生えてきますね。
庭を見てみると、気に寄り添って生えた草や別の場所で固まって生えているもの、草木の無い場所で、石の間から顔を出しているもの、様々です。

私が若い頃に「雑草魂」という言葉がはやった様に記憶しています。境遇に負けず驕らず生き抜く力という雰囲気の言葉です。草木は本当に強いです。けど、実は一つひとつは弱くて、気に入られないと直ぐに引っこ抜かれてしまいますね。それでも寄り合ったり、他の草木と力を併せたり、意外な場所に根を生やしたりして、しかもそれは自分の意志や選択ではなく、ただそこにたどり着いて、抜かれても生きていたり踏まれて広がったり。人間であれば挫けてしまう状況を利用して草木は生きています。

そこへ行くと、私なんかは弱いもので、「熱い」とか「眠い」とか、そんな事をぼやきます。この間、御崎馬という飼育環境下にない自然の馬がいる事を知りました。厩などもなくて野原で暮らしているそうです。彼らは雨の日も晴れの日も、傘もささずに生きている訳で、何と強い事だろうと感動してしまいました。彼らは自然に生えた草を食べて生きています。草を食べると道が出来て、急な斜面にも馬が通る道が出来ているそうです。

一見、人間の方が強いようですが、御崎馬の方が強いんじゃないか。御崎馬が食べてあるく草は自然とまた生えてきて、そうすると草木の方が強いんじゃなかろうか。
と、そんな事を思っていると、人の強さはやっぱり考えることが出来る事で、時にはその考えが理性や欲求も抑えられる事で、そこだけが人間の強さなのかなと思ったりしました。そんな私たち人間は、他の動植物から学ぶことも容易な訳で、よく考えたら一番強い可能性がある草木や自然に暮らす動物もやはり個々では生きられない訳で、あんなに強くたくましい雑草も群生している事を考えると、それ以外は淘汰されていて、やっぱり群が強いのかなと。

そんな事を、草むしりをしながら考えていると、自分は凄く支えられているなと、ありがたい気持ちになり、動植物の逞しさに負けない様に、人間も群れなくてはいけないなと、現代の思考とは逆行するような答えにたどり着きました。私も「群れる」という言葉を聞くとぞっとするような気持になりますが、個で生き抜けるほどの強靭な身体をもってはいませんし、けれども強くありたいなと思う気持ちはある訳です。
個人を尊重する風潮が年々増している様に感じますが、それ即ち集団の否定というのが弱い部分で、部分最適か全体最適かという話だと思うのですが、部分(個人)を尊重するあまり全体(集団)の利益を損なう事を許容しているのが、はたして良い事なのだろうかと、考えてしまいます。

はつおい歯科室で言えば、ですが、遅刻やキャンセルには厳しいんですね。個人対個人で言えば、遅れようが診てあげたい。ですが、それをするとちゃんと来ている人に迷惑がかかる。のだとすれば、歯科医院としては許容できない訳です。そこでもし、自分の技量でそれをクリアできるのだとしたら、それは受けて良いのだと思いますが。何度もキャンセルをしたりいつも遅れてくるようであれば、残念ながら他の方と同じような予約は取れない訳です。他の人に影響が出るのはおかしいと思っているんですね。ましてしっかり通って下さっている方が不利益を被るのは、よろしくないですよね。しかし、そこで個人を尊重すると、他の人がその分待って、上に書いた「全体の利益を損なう」状態になる訳で。それを許容する事が善い事だとは、私は思えないんですよね。

一方で、怪我をした方が駆け込んできました。口から血を流しています。そうなると、話は別ですよね。他の方からの了承を得る必要はありますが、怪我をした方は優先して診てあげる必要があると思います。もしも本当にみられないのなら、他の医院を探すとか、救急車を呼ぶとか、在るかもしれません。
そこでもし、その人が人を傷つけた人だとしたら…。また今度は複雑な話になってきますね。心のどこかで、優先したくない気持ちが出てくるのが人間だと思います。それでも、怪我をした時に全力を出せるのか。それは医療人としての個人と、ただ市民としての個人と、意見が分かれそうです。
さらにもし、その人が自分の家族やスタッフを傷つけた人だとしたら、自分はどんな選択が出来るのでしょう…。

いくら考えてもその時になって答えは変わりそうですが、考えられる時に考えておくことは大切な事だと思いますね。そしてそんな事を考えられるのも、大切な存在があるからなんだなとか、結局は支え合うしかない。とその様にグルグルと考えが回っていきます。

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