勤務医時代を思い出す話

勤務医時代を思い出す話

はつおい歯科室 べいちょうです。

正解というものはなかなか分からないですね。
正しいと思っていたものが、人によってそうでなかったり
正義も立場によっては、入れ替わってしまったり。

色んな事を書き連ねてみると大変な経験を色々した気がします。壮絶な内容になってしまったので削除しました(笑)

比較というのは心理的には善い事が無いもので。他所ではどうとか、誰々がこうだとか。
Instagramを見たりすると、キラキラしている人たちばかりが目につきます。もっと良い服が欲しいとか、いい車が欲しいとか、ステキなディナーを!とかですね。私自身は地味な物を好む性格で助かっています。服は全部よれよれ(笑) ステキなディナーよりも楽しい大将のいる居酒屋さんに行く事が一番の楽しみです。

私が中学生の頃から愛用しているパーカーがありまして、毛羽立っているし裾はペンキで汚れているけど丈夫だし。なんて思っていたパーカーですが、知人から「良い服着てるね」と言われました。嫌味なのかな?と思ったら有名なブランドだそうで、私はそんな事はつゆ知らずハードに着こなして・・・・・いた訳ですね。母が買って来てくれた服でしたが、ブランドに興味が無さ過ぎて、もったいない事をしているかもしれません。

そんな事を考えていると、比較と言うのは大切なものなのかもしれないとも思う様になりました。相対的な評価ってどうしても気になってしまいますよね。隣の芝生は青く見えると言いますが、私は自分が芝生を持っている事すら知らなかった様な状態で。それは多分よい状態ではないのかな。と思ったりします。自分の現在地を知るために、相対的な評価は必要なのかもしれません。

なぜこれが勤務医時代を思い出すのかと言うと、「比較をするな」と常々言われている院長でして、「比較が生み出すのは不健全な劣等感と不健全な優越感だけ」という様な事も仰っていた様に思います。確かにそうなのかもしれない。と思う一方で、当時から比較が出来ていれば、もう少し健全な働き方が出来ていたかな。なんて事を思いました。

やる気やモチベーションという言葉は嫌いな言葉ではあるのですが、それでも自分の中にもあります。それが比較によって大きく揺れ動く事も、自分の中に感じますが、それが正しいとか正しくないとか、どうしても分かりません。その時に拠るよね。とそんな感じなのかもしれませんが、何を恐れていたのかが何となくわかるような気もします。

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