疑心暗鬼な時代?

疑心暗鬼な時代?

はつおい歯科室べいちょうです。

昨日は「歯と口の健康フェスタ」がクリエート浜松で行われました。
大盛況で、私は射的のブースを担当して、あまりの忙しさにあっという間に終わってしまいました。
午後は市民公開講座という、浜松市が歯科医師会に委託してくださっている事業に行ってきました。何か手伝うつもりで行ったのですが、ただの参加者でした。

その帰り、先輩の先生に誘われて飲みに出かけました。実は前日も別の先生にお誘いいただきました。連日の飲み会ですが、私はそういうの、大好きです(笑)

「今は誘っても来ない人ばっかりだから、嬉しいよ!」と言ってくださるのが余計に嬉しくて、呼ばれればすぐに参加してしまいます。時代なのでしょうか。私は人の話を聞くのが大好きで、飲み会が大好きです。が、面と向かって言われた事もあるのですが「要領が悪い」と思われる様です。これも言われた事がありますが「媚を売って」とも思われる様です。不思議です。

私は飲み屋さんで会った名前も知らない人とでも2次会に行ったり別の日に遊ぶ約束をしたりするタイプです。決して陽キャやパリピの類ではないのですが、楽しいです。
“要領が良い”人からすると“無駄”だとかと思うのでしょうか。ネットの記事で、冗談かもしれませんが、飲み会には来ないけど退社理由が「コミュニケーション不足」だとか。知人の会社では、会社負担の社員旅行で「私は参加しないので、かからなくなった分の旅行費を支給してください」と言われたのだとか。飲み会は残業代が出ますか?というのも、冗談の様な本当の話だそうです。

美容院の技術が落ちているというのが深刻だそうです以前は夜遅くまで残ってカットの練習をしたり、友人にお願いしてシャンプーの練習をしたり、自分でお金を払ってモデルを探して髪を切らせてもらったりしたそうですが、今それをやると直ぐにブラック認定されるそうです。練習時間も練習にかかる材料代も、人から貰えないとやらないそうで。

私も研修医の時と勤務医になって半年くらいまでは歯を削る練習で歯の模型に毎月数万円使ってカツカツでした。その時にお話ししてくれた美容師さんも、同じ事をおっしゃっていました。「手に職をつけたからには一生修行だ」というのは板前さんがおっしゃっていた言葉ですが、本当にその通りで。今時はそういう、「修行」という概念が流行らないのかもしれません。

「修行なんて」という人に限って「教えて貰えない」と環境を嘆いて去っていくそうです。
それは偏見、かもしれないし、そんな印象もある。と思います。堪え性の無い人に限って環境を言い訳にするもので、というのは、昭和の価値観なのでしょうか?

時代に合わせることが大切。とは思いますが、変えてはいけない部分を見失ってしまうと、お互いがお互いに信じられなくなってしまいます。

伝統が失われる事を危惧できる感性(?)が失われてしまうと、全部をメリット・デメリットで測ってしまうと、すごく残念です。見えないものや見えてない人、見えていない力に支えられている事を忘れてしまうと、何だか悲しいような気がします。

「疑心、暗鬼を生ず」という言葉があります。疑う心は暗い鬼を生み出す、という言葉ですね。「伝統」という理由で軽視されるような世の中なのかもしれません。恩意識や孝行が軽んじられる時代なのかもしれません。でもそれが一番大切だと、私は思うのですが、時代には逆らえないのでしょうか。

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