説明か言い訳か

説明か言い訳か

はつおい歯科室べいちょうです。

私は、たぶん無口な方です。仕事だと特に顕著かもしれません。
雑談は好きですが、事務的なやり取りで生じる雑談は避けたいです。

「官僚は話が長い」と聞いた事があります。「Aですか?Bですか?」というやり取りでも前提事項・前提条件を話した上で、その限りでは◯◯です。という答えをしなくてはならないそうで、私は絶対になれません。会話でも文章でも、可能な限り短くしたいのです。結論から言いたいのです。

理由から話すと言い訳になる。結論から話すと説明になる。と私は思っていたのですが、最近はそれだけではない事に気がつきました。そもそも、話が理解に苦しむのです。

失敗をした時に「忙しかったから」という答えを聞く事があります。じゃあ貴方は悪くないですね。とは、なりません。次はそうならない為に問答をしているのに、原因に至らずに話が終わります。そしてその人は今後も「忙しい時に失敗する人」であり続けます。
どうして?と聞くと「◯◯さんがそうしているから」という答えを聞く事があります。じゃあ貴方は悪くないですね。とは、ならないですよね。失敗を人のせいにする人なんだな、という事だけは受け取る事ができますが

言い訳をした時に起こる事は
①課題を消す事ができる
答えは自分の中にある事がほとんどで、「失敗した」「間違えた」「気が逸れていた」「学習が足りていなかった」とかそんなものだと思います。だから注意をしよう。勉強しよう。練習しよう。集中しよう。プロトコルを考えよう。トークスクリプトを考えよう。ものの奥位置を考えよう。と、答えがたくさん見つかるのに、そういう人はずっと、原因は外にあるんです。残念ながら原因が外にあるのなら、その人に課題はありませんので、ずーっとそのままでうす。
②評価が下がる
ほとんどの人は何となく「この人は言い訳がましいなぁ」というのを感じたりするものです。仕事になると尚のこと。言い訳が翻訳されると「私は仕事ができなくて、改善の余地がないんです。」に聞こえます。自分から評価を下げる事で新しい仕事も逃げていくので、良さそうには感じますが、ずーっと新人と同じ仕事を続ける覚悟が必要そうです。
③話を聞いて貰えなくなる
学生の頃「妖怪でもでもだって」と呼ばれていた友人がいます。初めはみんな頑張って話を聞きましたが、人を捕まえては逃げられ、捕まえては逃げられ、どんどん人がいなくなっていきました。名前で呼ばれていた彼はいつしか、みんなから「でもでもだって」と呼ばれ避けられたとさ、という実話でした笑

残念だよね。という話なんです。私には言葉の瞬発力がないので、あんなにすぐ言い訳を思いつきません。その瞬発力を原因分析と改善計画に向けたら、それだけで成長できるのに、その瞬発力を「自分のせいじゃない!」「自分だけは悪くない!」「私には正当性がある!」に向けていく訳ですから、残念です。

国会中継とか記者会見とかの雰囲気ですよね。政治家の記者会見なんて、政治家も記者も演説と言い訳しかしないから地獄絵図です。

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