はつおい歯科室 べいちょうです。
慣れというのは怖いもので、綺麗なものも汚いものも、慣れると心が動きにくくなります。
はつおい歯科室は6月中旬に診療台の数を増やして、部分的に新しくなりました。
変化には必ず良い部分と悪い部分がある訳で、色んな課題が見つかるチャンスでもあります。
一方、人は最強の適応能力を持っていて、環境に自分を合わせる事ができます。
表出した「悪い部分」も、しばらく経つと、「それでいいのだ」に代わってしまいます。
私はそれが恐ろしくて。
私たち人間の進化は、最強の適応能力の一方、環境を自分に適応させる能力も随一です。
本来的に改善能力を持っている。はずなのに、自分を合わせようとします。
良くも、悪くも。
そうすると、知らない間に「変わる」が起こります。
見えないものが増えたりします。落ちているごみ、裏の埃、使いにくい機材や配置、悪い見栄え。
いつの間にか当然になって、気にしなくする能力を発揮してしまいます。
恐ろしい。
私は「変わる」より「変える」が良い、のです。
自分で意識してコントロールしたいのかもしれません。
もとい、自分のコントロールを失うことが怖いのかもしれません。
「変わる」事が起こると、自分ではコントロールできていない状態、他責の状態に落ち込んでいきます。「あの人がこう言ったから」「気が付かなかったから」「忙しかったから」「こう聞こえたから」「みんながそうしているから」無限に言い訳が流れてきます。
「変える」事が起こると、結果が付いてきます。良くなったのか、悪くなったのか、変わらないのか。自分の責任で「変える」事は重要です。例え自分が「変えた」のでなくても、そこに一つ意見を入れるだけで「変える」には加われるはずです。
「これって、なんでここにあるんですか?」みんなに気づきを与えて「変える」の起点になります。
「気が付けるようになるには?」で初めて患者さん目線に立てて「変える」ポイントのヒントになります。
「なんで忙しいんだろう?」仕事を効率化できるヒントがあるはずです。
「なんでそう聞こえたんだろう?」聞くには前提が必要です。環境・状況・タイミングが分かれば、聞こえなくても分かったかもしれません。
「なんでみんなはそうしてるんだろう?」みんなが「他人事」なだけではないでしょうか。「自分事」で捉えたら、それは良い事なのでしょうか。悪い事なのでしょうか。
「変える」に参加する機会はたくさんありますが、参加できるかどうかは難しいところです。私が言っても無駄、と思う人の問題か、環境の問題か。そもそも言い訳ばかりで信頼を失っているか。「他人事」である事が楽なのか。「変える」が恐ろしい人もいるようにも感じます。
私は、今のところは、どんどん変えたい人で。勤務医の頃を思い出すと、自分の範疇はどんどん変えましたが、変えてはいけないと、因習をも守る人がトップだった様にも感じます。
そう。因習です。悪い習わしをも守る事をも伝統とする雰囲気が、嫌いなのかもしれません。「意味がある」とされて少女を生贄に捧げたりする行いを、私たちは「慣れ」で行い始めるのです。なぜなら、その少女が自分の子ではないから。そしていつの間にか「今までそうしてきた」からと逃れられなくなるのでしょう。
私には変えないことが恐ろしいです。