はつおい歯科室べいちょうです。
優しさというのは、非常に厄介なものだと思っています。
歯科医院に勤めている人は基本的に優しい人が多いです。
そうすると、変な事が起こるんですね。
例えば、予約をしないで患者さんがやってきます。
「ここを診てもらいたいんだよね」と受付で話します。基本的に完全予約制のはずが、「診てあげたい」という“優しさ”で崩れます。特に、普段から予約時間に診療を始められていない医院では、声の大きい人は“何故か”優先されます。まじめに時間通りに来ている人が待つことになって、予約もなしに訪れて要求の強い人が優先される事が、しばしばあります。
そこで顔を出すのが“優しさ”という言い訳です。断る事をしにくい。この要求を受けることは“優しさだ”。そんな変換が起きているように感じます。
そこで断る事も、優しさではないでしょうか。予約の人を守る優しさもあるし、その人に「図々しいですね」と言って“あげる”ことも優しさのはずです。色々な優しさがあるはずなのに、それだけが正解の様に勘違いする事がある気がします。
でも、そこで診療する事で、時間のない時に無理やり診療する事で、雑の診療になったりしないでしょうか。急がないで丁寧に診療する事が出来るでしょうか。
私は、ですけど。それは優しさじゃなくて、責任放棄だと思ってます。
もしそこで受け入れるのであれば、次の人、その次の人、そのまた次の人に、「〇分お待たせしてしまいます」と事前に伝えるくらいが誠実な対応ではないでしょうか。もしくは到着された段階で、申し訳ございませんと、受付だけでなく担当者が頭を下げるべきではないでしょうか。とは言いながら、そこまで出来ない現状はありますが。でも、もし、自分が優しさを発揮したいのであれば、代償は自分で支払うべきだと思います。「この人を診療する。だから次以降の人には待ってもらう。」という決断が、優しさを発揮するその時には必要なはずです。その代償が、診療の妥協なのであれば、優しくないですよね。
優しさにも、力が必要です。優しさを発揮するだけの責任能力と、優しさを発揮するための遂行能力と。それを支える知識と技術と。それが無い優しさは、ある種の暴力の様な、そんな気がしています。