読書と瞑想

読書と瞑想

はつおい歯科室 べいちょうです。

最近本を読むことにはまっていまして。
元々、本を読むのは大好きで、大学生の頃は朝から晩まで本を読むために大学に居たような感じで、朝駅前のブックオフで本を買って、昼休みにそれを売りに行って別の本を買い、夜にはそれを売ってまた別の本を買い、その本を持って居酒屋へ、という大学生と呼んでよいのかどうか分からない生活をしていました。

当時は小説やルポを読むことにはまっていて、かなりの量を読んだ気がします。が、ある時から、小説を読んだ後の虚無感にやられてしまいまして。小説を読むの辞めた。と決めてからは読む本が何か学習を伴う義務の様なものが自分に課されて、少し遠のきました。元も子も無いような気がしますね。

そしてまた読書ブームがやってきて、本屋や図書館に行っては大量の本をゲットして帰ってきます。歯科の専門書を買おうとすると1冊で1万円や2万円も珍しくないものですから、普通の本で売れている本は新品でも1,000円しないものもあるじゃないですか。びっくりです。

しかも講習会など聞きに行こうものなら数万円から数十万円するような方が本を書いていて、それを千円かそこらで読むことが出来て、と考えると、効率的で仕方がないとケチな私は思います。

瞑想やマインドフルネスという言葉が一昨年から昨年にかけてブームだったように思います。
瞑想は集中力のコントロールである。というのを読んだことがありまして、読書も集中力のコントロールには向いている気がします。読んでいるとふと違うことが頭に浮かんで、また読むことに集中して。それを繰り返すとすると瞑想に近いものがある気がします。こうして文字を書きだすことも、また集中する事で、例えば心理カウンセリングで感情を書き出すなどのワークがありますが、これも一種瞑想の効果があるのかもしれません。気持ちの整理とは言いますが、気持ちの語彙数で気持ちが変わってしまうものなのか、と興味があるのですが、それはおいておいて。

私は瞑想をしたいと思いつつ全然、全く出来ない人で。形だけは出来てもすぐに何か考え事をしてしまいます。座禅を組むこともあるのですが、結局仕事の事やらなにやらと考えてしまって、いわゆる煩悩ですね。全然できないのです。本を読んでいる時も、読んでいる様で色々と考えていて文字だけ追っている事があって、これもまた瞑想と同じだと、やはりそこでも思う訳です。一方で集中すると何時間でも読むものですから、私って不思議です。

そんな事を考えると、瞑想には幸福感を高める効果があるとされていますから、「活字離れ」という現象はもしかしたら人々から幸福感を奪うかもしれません。動画への集中は脳を使いすぎるのでしょうか。もしくは、使わなさすぎるのでしょうか。人には向いていない…という事なのかもしれません。

ドーパミン中毒というのも話題になっていて、若者は25分のアニメを見られなくなっていると言われ始めています。つまり、数十秒の動画に慣れた若者には25分は長すぎて、集中力が維持できない、というかドーパミンが不足してしまう、刺激が足りない、という状況になってしまう様です。刺激を求めた若者たちが世界各国でゾンビ(薬物中毒)になっているという話も知られるところで、まさにLiving Deadって感じですね。

ところで息子が感じを読めるようになり始めて、でもまだあてずっぽうで、「文章から予想してる」と言いますが、結構な精度で当たるもので。でも「あてずっぽうだと見当違いな読み方をして、大きくなってから恥ずかしい事も起こるから、本を読むのも大切だよ」なんてさとしてみたら、「読んでるよ!」と即答されました。1年生になってから120冊以上読んだそうで、小さい頃に読んだ絵本も含まれているのですが、そういわれたら彼の方が読書量は多いので、釈迦に説法と言うやつです。

身近に先生がいるものですね。

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