はつおい歯科室 べいちょうです。
クレヨンしんちゃんやドラえもん、アンパンマンなど、子ども向けの作品には、意外と哲学的な内容が含まれていることがあります。
クレヨンしんちゃんの映画のワンシーンで、こんな会話がありました。
マサオくん
「意外と楽ちんなんだね。大人への階段って」
それに対してカザマくんが言います。
「分かってないな、マサオくん。ぼんやり登っちゃうと、大人になってから大変だって。ママが言ってたよ」
そんな、5歳児どうしの会話が流れてきました。
私はというと、10代、20代をかなりぼんやり過ごしました。
そのおかげで、40歳近くなった今、なかなか大変です。
高校の同級生には、
特許を取り海外で活躍している人、
大手銀行や証券会社で要職についている人、
起業して雑誌で特集を組まれている人、
本当に「偉い人」がたくさんいます。
不思議なことに、彼らに対して嫉妬のような感情は、ほとんど湧きません。
彼らは本当に努力をしていましたし、善い人間ばかりです。
素直に「お前はやっぱり偉い奴だ」と思います。
一方で、「あの時にやっておけばなぁ」と考えてしまう自分もいます。
同じ学校で、同じような時間を過ごしていても、
これから先も、良し悪しはあれど、まったく違う結果が待っているのでしょう。
そんな彼らを見てきたからこそ、今も頑張れているのかもしれない。
書きながら、ふとそんなことを思いました。
しかも彼らは、当時から今現在も、そしてたぶんこれからも、ずっと頑張り続けています。
「比較が生むのは、劣等感と優劣感だ」と言われます。
確かに、それは不健全な側面もあります。
けれど、それを種火にして前に進めるのなら、
劣等感も優越感も、決して捨てたものではないのかもしれません。
5〜6歳の頃、私は入院していて、病院で七夕を迎えました。
入院している子どもたちを集めて催しが開かれ、短冊が一つずつ読み上げられました。
私はそこに、
「はやく大人になりたい」
と書いていました。
それを読んだ男性――たぶん研修医だったと思いますが――に、
「大人になんて、なるものじゃないよ」
と言われ、強いショックを受けたことを覚えています。
では、私は今、大人になれているのでしょうか。
当時、自分が思い描いていた「大人」が何だったのかは、正直覚えていません。
私が織姫にお願いした「大人」と、今の自分。
願わくば、それを超えていたいところですが、
一生超えられないような気もするし、
もうとっくに超えているような気もします。
たぶん、階段はずっと続いているのでしょう。
いつの間にか段差が低くなったり、
次のステップが遠くなって、自分で踊り場を作ったり、
道を間違えたり、知らぬ間に下っていたり。
そして、知らぬ間に「楽の仕方」を覚えていく。
それが“大人”だとしたら、少し違う気もします。
当時の私は、きっとそんな大人像を見ていたのだと思います。
そう考えると、当時よりは、少しだけ良い「大人」になれている気もします。
私は、「善い人」でありたいな、と思っています。
そうであるために、努力をしたいな、と今は思っています。


