普通 は概念でしかないかも

普通 は概念でしかないかも

はつおい歯科室 べいちょうです。

日本人には、少し不思議な風習があると言われます。 それは、やたらと**「普通」**を気にする事です。

ここで言う「普通」とは、数学的な平均値や中央値を指すものではなく、あくまで個人の抱く「概念」や「イメージ」のこと。 私はそう定義しているのですが、皆様はいかがでしょうか。

「出る杭は打たれる」という言葉が、私たちの遺伝子に刻み込まれているのかもしれません。 自分がどう思うかよりも「普通(みんなと同じ)」を気にする事は、自己主張をしなければ生き残れない世界から見ると、極めて不可思議に映るそうです。

しかし、「普通」の基準は、人数にも集団にも、時と場合にもよります。 あらゆる状況によってコロコロと変化する。 そんな不安定な概念を、私たちは生活の指標にしているわけです。

一方で、ふと思うのです。 「普通」とは、とても便利な言い訳の道具なのではないか、と。

「普通、〇〇だよね」

何かをしたい時、あるいは何かを批判したい時。 あと一押しが欲しい時に、この言葉はまるで孫悟空の「如意棒(にょいぼう)」のように、自在に伸び縮みして、便利に使うことができます。

歯科医院の診療室でも、この「如意棒」はよく登場します。

「先生、普通ってどっちですか?」

治療の選択に迷われた際、私はこれをよく聞かれます。 おそらく、「普通」を聞くことが安心材料になるのだと思います。

ですが正直に申し上げますと、私はこの回答に非常に苦慮しています。 なぜなら、私が「普通は〇〇です」と答えた瞬間、その言葉が**「患者さんの意思決定をコントロールしてしまう」**という恐怖があるからです。

例えば、詰め物の種類を選ぶ時。 私が「普通は銀歯です」と言えば銀歯に、「普通は白です」と言えば白に、「普通は金です」と言えば金に。 その答え方一つで、患者さんの選択を意図的に捻じ曲げてしまう可能性があります。

私は詰め物の種類の統計を取っている訳でもありませんし、そもそも歯科医師にとっての「最良の選択」を一概に「普通」という言葉で括ることができません。

むし歯の大きさ、他の歯の状態、噛み合わせの力、年齢、ライフスタイル…。 色々な要因が絡み合って、その方にとってのベストが決まるからです。

そこに、実体のない「普通」を持ち込むことは難しい。 さらに言えば、そこに「白い方が儲かるから、こっちを『普通』と言っておこう」なんて邪念が入れば、それはもう医療ではなくビジネスです。 人の身体の健康に、ビジネスの論理が絡みつくのは、とても怖いことだと私は感じています。

……また話が逸れてしまいました。

やはり「普通」には明確な定義などなくて、本当に「如意棒」なのかもしれません。

届かないところにもう一つ届く、何か特殊で、特別な力を持つ道具。 思えば伸びて、思えば縮む。 「うまく言い表せないけれど」という言外の意味を含みつつ、もう一つ足りない時の決定打として使われる。 なぜだか、すごく力強いエネルギーを持っているかのように扱われます。

「普通」とは、存在しない個々人の理想が詰め込まれた、実体のないもの。 でも、確かにそこにある様な気もします。

「普通」が良い時もあれば、悪い時もある。 「普通なんて知らない!」と放り出したくなる時もあれば、「普通はどうなんだろう?」とすがりたくなる時もある。

なんとも、「普通」とは不思議な存在です。

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