はつおい歯科室べいちょうです。
仕事をするって何でしょうか。
私は、する事が当たり前、熱心に誠実に働く事が当たり前、と思って育ちましたが、世間ではそうではありませんね。
「君の当り前は非常識だという事を忘れるな」と、子どもの頃に良く話をしていたおじさん(あの人は何をしていた人なのか、そういえば知りません)がよく言っていました。
仕事観、良く聞くのはキリスト教的な教えで、原罪です。人は罪を負って生まれて、その贖罪として労働を行うそうです。元をたどれば、仕事をしたくない人が多くて、それを説明して納得感を得るために、ストーリーをつけたらそうなった。が根本だと思います。仕事はしたくない人が多いようです。ただ、現代日本において、この豊かな国において、贅沢が蔓延した国において、「所有」は強大な欲求です。またSNSの流行で「承認」という精神的なドラッグまで蔓延しました。私たちにはお金が必要不可欠なものになってしまいました。欲望のために。
そんな事を考えると、医療を担うというのは大変に有利な職業です。
「人を助けたい」という単純な思いと行動でお金をいただくことができます。画面を通さなくても「ありがとう」と直接言っていただけます。
ただ、これも、つまらない仕事にすることもできます。お金のために働けばよいのです。目の前の患者さんや同僚、会社の事を考えないで、お金の為に。我欲の為に働くと、仕事はくだらない、つまらない、ものに感じられるでしょうね。価値が付けられていないのですから。または意味をつけずに「やれと言われて」と他責感のある人には、労働は苦痛になるでしょうね。
働くのに意味づけをする事が出来るのは、自分自身だけです。「やれと言われた」とあたかもコントロール外かの様に働く事もできるし、「患者さんの為に」と働く事もできるし、「お金の為に」を選ぶこともできます。
時々「家族の為に」という人がいますが、私はそれは嘘が含まれていると思っています。家族から「そこで私たちの為に働け」と直接言われた人がいるのだとすれば、そうなのかもしれませんね。でも、それを了承したのなら、その選択は自分自身で行ったもので、「家族のせい」ではないはずです。そしてもし、何も言われていないのに「家族の為に」なのであれば、それは思い込みで、不幸を招く自縛だと思います。
「家族の為に」の裏には、選択や責任を回避したい、他責感を覚えてしまいます。
あくまで、働く、という場面についてです。家庭や家族という組織の中での分担が不公平感につながる事も理解はしています。ただ、役割分担として適正感の問題は無視できないと思いますね。
仕事の本質は何でしょうか。昔はどうだった、とかではなくて。私はこうだ、ではなくて。あの人がこう言った、ではなくて。
仕事はどうして生まれるのでしょう。本来的にお金は必要なのでしょうか。何か理由が必要だったのでしょうか。「仕事は」とストーリーが必要なのでしょうか。
反対に、どうあれば、自分を喜ばせられるでしょうか。依存的な所有や承認の欲求ではなくて。10年後20年後30年後の自分が喜ぶ「仕事観」とは。
仕事の本質と、自分に望ましい「仕事観」、私にはズレがありません。ただ、私の当り前は非常識ですからね。私は、人に喜んでもらうことが仕事だと思うのですが、皆さんにとって仕事って、なんでしょうか。