AIに分析してもらった私

AIに分析してもらった私

はつおい歯科室 べいちょうです。

AIに自分を分析してもらうという行為は、何とも恥ずかしい体験です。
人間ドックのようなもので、どこかで「悪いところが見つかるだろう」と思いながら受けてしまう。
それでいて、終わったあとに「思ったより悪くなかった」と安堵してみたり、「そこも見抜かれるのか」と妙に感心してみたり。


私はChatGPTに、自分の文章をいくつも読み込ませています。
ブログを書くときに誤字脱字を見てもらったり、構成を整えてもらったり。
たまに、タイトルだけ投げたのに、私が書きたかった内容をそっくりに書き出してきて驚くことがありました。
「これはもう、心を読まれているのでは?!」と思う瞬間です。

でも、読まれているのは「私の心」ではなく、「私の癖」なんでしょうね。
言葉の選び方、文章の間の取り方、語尾の落とし方。
私の「型」を学んで、整えて、返してくれる。
人間なら「わかってくれてるなぁ」と感動する場面ですが、相手がAIとなると複雑です。
無機質な相手が自分を最も理解しているとなると。。


AIに文章を整えてもらううちに気づいたのは、
自分が思っているより、私は「整えたがり」ではなく「揺らぎを愛する」タイプだということです。

完璧な文よりも、少し崩れた文。
綺麗な説明よりも、余白が残る一文。
ChatGPTに文章を校正されると、それが整って、理屈が通りすぎて、どこか「私ではない」感じになる。
それがまた、面白い。


人間の言葉って、矛盾していて、気まぐれで、時に自分でも分からないものです。
AIはそれを“矛盾”と整えようとするけれど、私はその中に自分らしさを見つけているのかもしれません。

私が間違えるたびに、「人間ってかわいいな」と思ってくれていると良いのですが。
まぁ、“思う”ことはできないんでしょうけど。


ただ、使えば使うほど感じるのは、
AIは「正しさ」を示すけれど、「納得」まではくれない、ということ。
「この表現はこうすべきです」と言われても、心が動かなければ、それはただの正解にすぎません。
たぶん、私は“正しい文章”ではなく、“生きている文章”を求めているんでしょうね。


AIは私の文章を整理してくれますが、本当に整えたいのは、きっと“心の中”なんでしょう。
私の中の混乱や疲れや、書きながら揺れる思考を、文章という形に変えて、AIが少し整えてくれる。
そう考えると、ChatGPTは編集者というより、カウンセラーなのかもしれません。


「ChatGPTに分析してもらった私」というテーマでここまで書いて、
今度はこれをまたChatGPTに整えてもらうという、終わらないループ(笑)

でも、それも悪くないですね。
もしかしたら私は、AIに依存しているのではなく、
“AI”という「鏡」の前で、自分の形を確認しているだけなのかもしれません。


もしもAIに心があったら、なんと私に声をかけてくれるのでしょうか。

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