丁寧さと、時間の価値と

丁寧さと、時間の価値と

はつおい歯科室 べいちょうです。

接客を受けるタイミングって、日常のなかに溢れていますよね。
セルフレジやDXが進んでいるはずなのに、結局その“面倒を見る人”という新たな仕事が生まれていたり。
人と人との関わりは、機械がどれだけ進んでもなくならないのだな、と感じます。

接客は「見えてしまう行動」だからこそ、よく目につく「丁寧の勘違い」があります。


■ 時間をかけること ≠ 丁寧

遠回しに、ゆっくり時間を使うことを「丁寧」だと思い込む。
これはよく見る誤解です。

時間をかけることは、丁寧というよりも「こだわり」。
場合によっては「エゴ」です。
その“エゴ”が他者に受け入れられたときに「職人」に昇華されます。
そして私たちは、その職人性を見て「丁寧だ」と勘違いすることがあります。

アジア人は“パフォーマンス”が上手ですよね。
無駄な動作を加えることで、本来の価値を大きく見せる“技”です。
しかしそれは「丁寧」ではありません。
「こだわり」や「我欲」から出る演出であって、本質的な価値そのものには寄与しないのです。


■ 本当の「丁寧」は、相手のためにある

私の考える丁寧とは、相手のために行われる所作と配慮 です。

動作がゆっくりかどうかではなく、時間を使ったかどうかでもない。

例えば鉄道で行われる「指差し確認」があります。
あれは“念入りのルーティン化”によって安全を担保するための動作です。
必要なことだから行われているのであって、そこに過剰な時間を費やすことは丁寧ではありません。
実態を伴わない時間の消費は、丁寧ではなく 遅延行為 です。
本人の我欲や能力不足を“こだわり”と呼び変えてしまっているだけのこともあります。

丁寧とは、
配慮が行き届いていること。
相手の時間・相手の気持ち・相手の立場に応じて、
不足なく・余計なく・適切であること。

そこから外れた途端に、それは「エゴ」へと変わってしまいます。


■ 私たちは、時間の価値をどれだけ理解しているか

アジアの歴史を振り返ると、時間を“消費することで勝負する”という側面があったように思います。
労働力で世界と競争していた時代の名残かもしれません。

私は、時間は本来の価値を取り戻すべきものだと思っています。

時間は、誰にでも平等で、
お金以上に価値があり、
そして二度と戻らない。

相手の時間を奪わず、
自分の時間も浪費せず、
互いの時間を尊重すること。

そこにこそ「丁寧さ」があるのではないでしょうか。

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