はつおい歯科室 べいちょうです。
「5分しかない」のか。 「5分もある」のか。
「5分ある」という事実に直面した時、皆さんはどちらを選択しがちでしょうか。
「それは状況にもよるよ」 そう答える方が多いと思います。
その回答には「なるほど」と頷く一方で、少し厳しい見方をすれば「無責任である」とも言えるかもしれません。 つまりそれは、**「自分の意志ではなく、環境にコントロールされる事を選んでいる」**という事だからです。
ちょっとした言葉の違いですが、意味は真逆の結果をもたらします。
- **「5分しかない」**は、「やらない」がセットになりがち。
- **「5分もある」**は、「やろう」がセットになりがち。
ここで注意したいのは、「やらない事が楽であるかどうか」です。 つまり、「やらない」ための言い訳として、「5分」という事実を都合よく捻じ曲げていないか? という事です。
本当はやりたくないから、「5分」を利用して「しかない」と言い訳にしがちではないでしょうか。
そもそも「5分」という言葉の感覚には、4分1秒から5分59秒まで、ほぼ2分間もの開きがあります。 それだけの幅があるものを「5分」とひと括りにして、「しかない」と言い切るには本来逡巡(ためらい)があるはず。 ですが、たいていの場合、「しかない」は悩むことなく口を衝いて出ます。
それは、無意識に**【「しかない」を選びがち】**な思考になっているからです。
これをもし、意識的に**【「もある」を選びがち】**に変換したらどうなるでしょう?
5分「しかない」と言って動かない人が、5分を失う一方で。 5分「もある」と言って動く人は、5分を得るわけです。
(ー5分)と(+5分)、そこには**「10分もの差」**が生まれてしまいます。
【すべての人に唯一平等に与えられるものを「時間」という】 そんな言葉を聞いたことがありますが、どうやら使い方次第で「時間」ですら平等ではありえないようです。
ただ、そこに気が付けば、常に人よりも多くの「時間」を得られるようになります。
- 「あと5分もあるし、SNS見よう!」
- 「あと5分しかないから、片付けは出来ない。」
同じ口から、同じタイミングで出てきてもおかしくない、相反する二つの文章。
小さな10分の差を積み上げられる人も、 小さな10分の差で散財してしまう人も。
私たちはどっちもやってしまう生き物ですが、 「これからはどっちを増やしていきたいか?」
ふと、そんなことを自問したくなりました。
ただ、「時間」はただの概念でしかない、とも、考えてはいるのですが。


