「依存」の良し悪し

「依存」の良し悪し

はつおい歯科室 べいちょうです。

「依存」という言葉。 たいがいがネガティブな状況に使われるように感じます。 アルコール依存や薬物依存、最近ではスマホ依存なんて言葉もニュースでよく見かけるようになりました。

では、「良い依存」というのは無いのでしょうか。

例えば、赤ちゃんは独力では生きられませんから、「保護者に依存している」事は当然の事です。 その愛情で安心を得ていて、これは大変健全な依存かもしれません。

小学生にもなると友達が増えて、異性に気になる子ができて。 学校の先生や他の保護者の方など、親以外の大人と接する中で、ある種の新しい依存が生まれます。

「〇〇君がやっているから」とゲームをねだったり。 「〇〇ちゃんがやっているから」とお化粧道具をねだったり。

それはある意味で依存先が増えて、親への依存が相対的に減じるということ。 これもまた、自立への一歩であり、大変健全な依存の様に感じます。

私の場合、中学生の頃は「THE BLUE HEARTS」が大好きで、CDプレイヤーを離せませんでした。 アルバイトで失敗して嫌な気持ちになった時、あの心の叫びを聞くとすっと落ち着かせてくれました。 これも音楽への「依存」と言えると思いますが、おそらく健全な方の依存かと思います。

高校生の頃は、友人とメールをするのが好きでした。 メールをチャットの様に使っていて(今思えば掲示板でも立てれば良かったのかもしれませんが)、間が空くと「新着メール問い合わせ」をしてメールを開いていました。 そのころには親への依存も随分と減って、反抗期の様な時期も過ぎたり過ぎなかったり。 やはりこれも、健全な依存なのでしょう。

大学生の頃は…友人と遊ぶ時間が楽しくて何日も家に泊まっていました。 (友人宅にはさぞ迷惑だったことと思います。これはギリギリで「良い依存」としておいてください 笑)

私たちは成長の過程で色んな依存先に遭遇して、色んな所に少しずつ依存していくものだと思います。 どこかへの依存が増えると、何処かへの依存が減る。 そうやってうまくバランスを取れる人もいれば、それが苦手で一か所に集中してしまう人もいて。 でも、自発的である限り、それは健全な心の働きのように感じられます。

しかし、これが「良くない依存」に変わる瞬間があります。

もしも、相手を依存させようという作為があったり、何か外的因子で「依存せざるを得ない力」が働いていたりする場合です。 薬物やギャンブルはもちろん、動画やSNSにも、脳が快感物質を出してしまう仕組みがあるそうです。

そうなると「中毒」と呼ばれるような状態で、「手放したいのに手放せない」。 自分の意識が上手く制御できない状態になってしまいます。

私も、早く寝たいのに動画を見てしまって寝られない事があります。 「意志が弱い」とも言えるのかもしれませんが、これも立派な中毒、依存症の入り口なのかもしれません。

ただ、ここに一筋の光明があります。 それは**「それが不健全である」という自覚**です。

「不健全である」と自覚することは、時に「罪悪感」と結びついて自分を責めてしまう危険もありますが、気が付ける事は脱却への第一歩でもあります。

そこで、ふと思うのです。 【自分の中の「依存」を意識的にコントロール出来たら?】 と。

  • 今はちょっと疲れているから、妻と息子への依存度を少し上げて、安心させてもらおう。
  • 今は仕事の頑張り時だから、家族への甘え(依存度)を下げて、職場の人との連携(依存度)を上げよう。
  • ちょっと愚痴を言いたいから、今日だけは飲み屋の大将と常連さん達に、依存度を割り振ろう。

言葉にしていなくても、実際に我々は無意識にそれをしているとも思います。 ですが、それを「意識的に」やってみるのはどうだろうか? というお話です。

「あれ? ちょっとこの趣味に依存度が増えすぎたかも?」とか。 「ちょっと仕事に依存度を振すぎて、大切な人を大切に出来なかったかも」とか。

そんな風に、人間関係や時間の使い方を「依存度(=心の拠り所)」という尺度で診てみると、もしかしたら大切なバランスが見えてくるかもしれません。

コントロールできない事を「依存」と表現する機会が多いですが、実は「依存すること」自体は正常な心の挙動であり、意識さえできれば操縦桿を握れるのかもしれません。 反対に、操縦できない感覚があれば、「おっと、これは危ないぞ!」と早めに察知できるかもしれません。

そんな事言って、「こころ」の操縦って、出来たためしがないかもしれません。。

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