何だか最近、よく思い出す。

何だか最近、よく思い出す。

2025年5月27日

はつおい歯科室べいちょうです。

また勤務医時代の事ですが。「君たちは私に信用してもらう努力をしなくてはいけない」とよく言われていました。何とも不可思議な表現で、うわー…と思ってしまった事が何だか思い出されまして。

私は歯科医師になって改めて社会人になり、最初に勤務したのがその医院でした。(厳密にいえば歯科医師臨床研修も勤務ではありますが、教育の側面が多くてモラトリアムの様に感じられます。)人と関わるという事はその相手から大なり小なり影響を受けるのだというのを、今更に改めて感じているというところです。院長像という様なものが勤務医時代の経験から作られていくのでしょう。何も考えないで簡単な答えを出そうとすると、そのトレースになってしまうんですね。なので油断をしてしまうと、何かが出てくるわけです。

最初に書いた言葉は、当時の院長の雰囲気が凄く表れている言葉で、私には「君たちの事は信用できない。それは君たちが、私から信頼を勝ち取る努力を怠っているからだ。」という言葉に聞こえました。こんな事をスタッフに言っちゃう所は、ある意味では素直なのかもしれませんが。そんな“院長像”が私の中でまだ払拭できていなくて、油断をすると出てくることが怖いのです。他責という言葉をよく使いますね。そんな自分が潜んでいる訳です。それが、最近よく思い出す原因だと思います。

人は鏡とか、信ずれば成り憂えれば崩れるとかと言います。信じられたいならまず自分から信じましょう。という、簡単なお話ではありますが、やっぱり難しいお話でもあります。〇〇だったらどうしよう。◇◇だったらどうしよう。傷つかない為には…。そうだ、人を信じなければ裏切られる事もない!という様な自己防衛が根本にありそうです。

かく言う私も人間不信的な所が大いにあります。なので余計に、油断するとでてくるんですね。他責思考なんです。責め心がそもそもよくないと言いますね。他人を責めても自分を責めても良い事は無いんですね。責めるというのは過去の変えられない出来事について追及する訳です。自然とストレスが大きくなります。「活かす」という言葉が私は好きです。失敗と捉えるのか、経験と捉えるのか。そんな言葉遊びの様にも感じてしまうかもしれませんが、その出来事は解釈次第でプラスにもマイナスにも振れるというお話ですね。

運勢というのも私は信じたり信じなかったりします。私はですが、良い出来事の時は「ラッキーだ!」と考えるようにしています。悪い出来事の時には「徳が足らないのだな」と姿勢を正すきっかけにするようにしています。こうすると、私は楽なんですね。慢心しなくて済む様に感じるんです。逆の方にお会いする事もありますね。良い出来事の時は「自分が頑張ったからだ」悪い出来事の時には「運が悪かった」と。言葉に出しているから本心であるとも思いませんが、いい性格してるぜぇ、と思いますね(笑) とそんな事を書きますが、要は運勢も解釈なのだと思います。運が悪いと思えばそうですし、運が良いと思えばそうなのだと思います。

解釈次第で世界のプラスとマイナスは逆転してしまうというのは、楽しい様な、恐ろしい様な。時々ありますね。見失ったり視野が狭くなったり、経験が足りなかったり痛い思いをしたり。
でも深呼吸できた時に思い出したいものです。世界は自分で作り出した想像に過ぎない。かもしれない。

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