はつおい歯科室 べいちょうです。
「コンフォートゾーン」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
日本語では「安心領域」とも言われます。
- ルーティン化された環境
- ルーズでも許される関係性
- 自己中心的な考え方と、その無条件な肯定
こうしたものに囲まれた、心が波立たない領域のことです。
私たちは、このコンフォートゾーンを
少し大切にしすぎているのかもしれない と感じています。
目次
■ コンフォートゾーンが守られすぎた世代
特に、私とその下の世代は、
- 「叱らない教育」
- 「ストレスフリー」
といった言葉のもとで育ってきました。
もちろん理念としては理解できます。
ただ、「放任」と「配慮」の違いを、
うまく説明できないまま運用されてきた側面もあるように思います。
結果として、
コンフォートゾーンから出ること自体が“悪”のように扱われる空気
が生まれてはいないでしょうか。
■ 成長領域とパニックゾーン
コンフォートゾーンの外側には、
- ラーニングゾーン
- ストレッチゾーン
などと呼ばれる「成長領域」があります。
適度なストレスや挑戦があり、
人が学び、伸びていくために欠かせない領域です。
さらに刺激が強くなると、
今度は「パニックゾーン」と呼ばれる危険域に入ります。
この境界は、明確な線があるわけではなく、
おそらく 個人差がとても大きい。
■ 成長領域が広い人たち
世界的なスポーツ選手や経営者、著名人を見ていると、
この「成長領域」が非常に広い人が多いように感じます。
- 誰でも楽だと思う環境に苦痛を感じ
- 多くの人が避ける状況に快楽を見出し
- 周囲が心配する状態で、むしろ活力を得ている
彼らは、
上も下も、自分でコントロールできている のかもしれません。
■ 感覚を自分で問い直す力
- 「快適だと思っていたけど、もっと良くできるんじゃないか?」
- 「不快だと思っていたけど、少し変えたら平気じゃないか?」
- 「こんなことで安心している場合じゃないな」
- 「これを不安がっていたら、先が思いやられるな」
こうした“自問”ができる人は、
コンフォートゾーンを 自分の意思で動かしている人 だと思います。
■ どんなことでも不快に感じる人たち
一方で、
どんなことにも不快を見つけてしまう
“超能力者”のような人もいます。
最近よく聞く「カエル化」という言葉も、
私はこう理解しています。
- 人の欠点を見つけるのが得意
- 揚げ足を取ることが習慣化している
- 物事を悪い側面だけで判断する
……もしそうだとしたら、
何か大きな勘違いをしているように思うのです。
■ 人生は、思っているより長く、変わり続ける
私たちの人生は、
意外と長く、意外と変化し続けます。
老い先短い“おじい”“おばあ”が若者に増え、
健康長寿な“青年”が年長者に増えている。
年齢と状態が、
必ずしも一致しなくなってきているように感じます。
■ コンフォートゾーンを「扱える人」になりたい
成長領域を広げるのは、確かに難しい。
でも、
コンフォートゾーンをコントロールできる人になる
という目標は、どうでしょうか。
- 「快適だなぁ。頑張ってよかった。また頑張ろう」
- 「ちょっと辛いな。一回だけ休憩しよう」
コンフォートゾーンを少し広げたり、
あえて狭めたり。
安心する時間を限定したり、延長したり。
私は、
60歳くらいまでは、少しずつでも成長していたい
と思っています。
私は、ちょっと変でしょうか?


