依存したい欲求

依存したい欲求

はつおい歯科室 べいちょうです。

時々襲ってくるのですが、何かに依存したい欲求がありまして。
どういう時かと言うと、やっぱり何か不安な時とか自身が無い時とか、疲れた時とか
ざっくり言えば「弱っている時」でしょうか。

子どもの頃、笑うセールスマンというアニメを見たことがあります。
「心の隙間、お埋めします」でしたでしょうか。
そんな感じなんだと思います。自分の中に知らぬ間に出来た隙間が寂しくなって、それを埋めようとしても埋められない何かがあって、一方でそれを埋める手段が転がり込んで。

宗教の勧誘活動の真の目的を聞いたことがあるでしょうか。それは本来的には会員を増やすためにされる行為で、「喜びを広げたい」という善意で行われます。一方で新興宗教やそれに類する活動において、勧誘活動は他者との分断に真意があると言われています。家族・親族・友人・地域との隙間を明確にさせて、依存先の誘導をする訳ですね。

それを考えると、笑うセールスマンは善人です。セールスを受けた人は残念ながら最後には不幸の道へと進みますが、それは笑うセールスマンが導いたわけではなく、人間の本質が怠惰で堕落しているから進んでしまった、選び取った結果ですよね。「つらいから」と楽な道を選べば失墜するのが残念ながら定めの様です。

そこでまた依存したい欲求に戻りまして。
何かないかと探すことが度々ありまして。パチンコはどうかとか、麻雀はどうかとか、宗教はどうかとか、ゲームはどうかとか、大学はどうかとか、探すのです。どれも経験はありまして、どれも好きなのですが、依存まで行かないんです。楽しいなで数日は続いて、けど飽きるのです。これはただの飽き性でしょうか?

多分なんですけど、色々やりすぎているのかもです。歯科医院もそうだし、歯科医師として・経営者としての勉強も、この中に含まれますかね。他院でも診療をしたりするし、飲み屋さんで出会った名前も知らない人と遊びに行ったり、研修会で方々へ行って謎の出会いもあります。大学時代の旧友や前職の先輩もいます。歯科医師会の先輩方にもお会いする事が出来ます。庭の手入れも好き、こうして文章を書くことも好き、本を読んだりゲームをしたり動画を見たりも好きです。冬は息子そがスキーをしたいとちょっと遠出をして旧友と会う約束も出来て、なかなか予定が詰まっていて、妻も諦めもあるでしょうが許容してくれて応援してくれ助けてくれています。ちょっと忙しすぎて目が回っているので「心の隙間」がないのかもしれません。余裕がない、とは違う感じで、満たされている感じで。

それでも何か依存してみたい欲求があって、パチンコに行ってみようかとか雀荘に行ってみようかとか、カードゲームは楽しいらしいとか、教会へ行ってみたりお寺で座禅を組んでみたり。手を出すことにやぶさかでは無いもののなかなか嵌れないのは、やっぱり飽き性なのでしょうか。

宗教論とか宗教学とか、経典を読んだりとか、好きなんですけどね。
でも絶対に触れない様にしているのが哲学で。私はたぶん哲学には親和性があるのですけど、哲学にハマると人生が短くするイメージなんですよね。昔はそれもありと思っていたのですが、大人になって責任が生まれるとそうとも言えず、自分もいっちょ前になりつつあるなと思ったりします。

最近はユダヤ経の本を探してきて読んでいるのですが、世界中に広がったユダヤの方たちは信仰を硬くする一方で地域でも大きく違いがあったりするようで。そしてやっぱり、置かれた境遇はその強かさが無ければ生き残れなかったという部分もあるように感じられて、それを学ぶ能力が私の様な恵まれた人間に学ぶことが出来るのか?と疑問を持つ部分もあり。勉強中です。

「何かに依存したい」という感覚、共感していただける人はいないでしょうか?

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