得意と不得意と

得意と不得意と

はつおい歯科室 べいちょうです。

「好きこそ物の上手なれ」と昔から言いますが、最近はなんだか、何かを「好き」になる事自体に高いハードルがある様に感じています。

「キャンセルカルチャー」という言葉が流行して、もう何年になるでしょうか。 評論家の岡田斗司夫さんは、数年前から現代を「ホワイト社会」と呼び、人々の精神的な潔癖症を笑い飛ばしていますね。 そんな社会では、「これが好きだ」とも「これが嫌いだ」とも言うために、いちいち社会的な承認(誰も傷つけない、正しい意見であるという証明)が必要な様に感じられて、なんだかとても大変そうです。

私はあまりテレビを見ないのですが、動画サイトなどで流れる地上波放送の切り抜きを見ていると、「炎上」という言葉がすっかり一般化したように思えます。 テレビに出るような有名人は、炎上しても時が経てばそれを「武勇伝」のように、少し恥ずかしげに、でもどこか誇らしげに語っていたりします。 しかし、その凄まじい精神力を一般人が持てるのだろうかと、余計なお世話ながら心配になってしまいます。

現代は、「好き」と言えば半分の人が、「嫌い」と言えばもう半分の人が、何かしらの否定的意見を投げつけてくるような印象です。

そこで紹介されるのが「ネットの意見」です。 しかし私は、このブログで文章を書く以外には、ネットの海に自分の文字を流していません。 つまり、その「ネットの意見」なる“民意風な何か”が台頭する社会において、私は誰かを否定する事も、誰かから否定される事もない。ある種の「特権階級」のような、気楽な生活を送らせてもらっています。

YouTubeでもInstagramでも、その他のSNSと言われるものは、一度何かを検索すると、永遠と同じか似たような情報ばかりを提示してきます。 もしそこで政治的な事を検索してしまおうものなら、ずっと「そっち寄り」の意見がだらだらと投下され続け、気づかないうちに精神が侵されていくのでしょう。

心理学でいう「単純接触効果」と「エコーチャンバー(自分と同じ意見ばかりが反響する閉鎖空間)」の組み合わせは、本当に恐ろしいものです。 自分で自分を無意識に洗脳するのに、これほど最適なツールはありません。

現代において、**「手っ取り早く不幸になりたければ、何よりもSNSに時間を割くと良い」**そうです。

それはおそらく、自分の意見が無意識に偏る事で社会で生きにくくなり、自ら酸素を薄くしていくような効果があるからでしょう。 自分よりも良い(風に見える)他人の生活を見ては「劣等感」を手に入れ、自分よりも悪い(風に見える)生活を見ては「優越感」を手に入れる。 そんな代償として得られるのは、ごく一時的な快楽物質(ドーパミン)と、集中力の欠如、そして慢性的な精神的不安定感です。

好きも嫌いも自分の意志では気軽に言う事ができず。 得意も不得意もなく。 泥臭い努力は嘲笑われ、不器用な下手さも嘲笑されて。 最後に残るのは、生まれ持った「才能」だけ……?

なんだか、ひどく息苦しく、生きにくい世の中の様に感じられます。

SNSで意見を言う人も、ただ意見を見るだけの人も、知らず知らずのうちにこの息苦しい社会の「加担者」になっている事を考えると、社会システムというのは本当に恐ろしいですね。

せめて、**「自分も何かに洗脳されている(偏っている)かもしれない」**という事には気が付いた状態で生きていかないと、頭の中の痒みに耐えられなくなりそうです。

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