はつおい歯科室べいちょうです。
最近のブログは歯とは関係の無い事ばかりです(笑)
先日、訪問診療に伺いました。やっぱり在宅医療は決して見過ごしてはいけない医療だと再認識しました。「医院で患者さんを待っているなんて傲慢でしかない」と、確か鶴見大学で在宅医療と特殊歯科をされている先生がおっしゃっていたかと思います。まさに。と、思いながらどうやって手を出すか分からず手をこまねいている中で機会を下さった事に心から感謝です。これからも訪問先が増えていくとありがたい限りですね。
さて、投資という言葉がここ数年で一気に広まったように思います。「FIRE」や「億り人」などという言葉も一般化しているように感じます。投資でお金を回すだけで生活できるなんて、日々齷齪働いている我々にとっては夢の様なお話です。「FIREを目指して節約生活」という話もよく聞く話で、生活を切り詰めて投資を続ける若者が増えている。という様なニュースも見かけます。
「投資」という考え方は非常に良い考え方だと私は思います。お金をかけてどれだけ返ってくるか。ギャンブルみたいなお話で敬遠される方が多いのも事実ですが。でも子どもへのお金もある意味では投資ですよね。塾に行かせるにせよ、ゲームを与えるにせよ、公園に連れて行くのも、お金や時間を使うという事はコストですが、それでも健やかに育ってもらいたいとか、笑顔が見たいとか、そんなささやかな願いへの投資ですよね。自分がゲームや動画、SNSに浸るのもある意味では投資です。日頃の疲れやストレスをどう逃がすか、に対するコストとして時間や通信料やサブスクを支払っていて、リターンは…、その人次第でしょうか。
そんな“嫌な”事を考えていると、善い自己投資が出来ているかという考えに至ります。ところで自己投資という考えが日本には根付かないですね。自己犠牲や自己卑下を善しとする文化が根本にあるのでしょうか。学校に通わせてはもらったけど、自分でお金を払って学校には行かないとか、講習や研修にはお金を払わないとか。義務教育が無償のせいでありがたみがないのでしょうか。大人になって講習や研修を受けると数万円、ものによっては数十万円しますね。それを投資と思うのか、消費と思うのか、額面だけ見て高いと思うのか、人それぞれですね。
色々な投資がありますが、自分への投資だけが確実なリターンを見込める投資だと思っていたいです。価値が上がれば対価が上がる。これは当然の事ですよね。ですが、自分の価値を上げられるのは自分だけなのに、評価ばかり上げようとして価値を上に見積もってもらう努力をしている様に感じることがあります。評価と言うのは相対的な物ですから、自分が変わる必要はありませんからね。でも自分の価値が上げられる方法があるのだとしたら、まずはやってから判断したいですね。やる前から「妖怪でもでもだって」が発動する人を見ると、かわいそうに…と正直思ってしまいます。単純に価値がないと判断しているのであればいいですが、言い訳や好き嫌いで判断しているのなら、残念ながら、損しているんじゃないかと。
「チャンスの神様には前髪しかない」機会は過ぎてしまうともう掴めないというギリシア神話の格言ですね。機会を掴むというのは実は勇気のいる事で、機会は変化の糸口です。そして変化は生き物が最も嫌う事のひとつです。なので“変化は避けるべきもの”という事が遺伝子には組み込まれているはずなんです。
一方で、地球上で生きている生物が今なお生きていられる最大の要因は変化に対応できる能力を持っている事だそうです。生き残ることが出来ている種・個体は、あらゆる変化を受け入れて乗り越えたから存在する事が許されているのです。こんな話を拒否する人も、受け入れられる人も、いると思いますが、どちらになりたいかは人それぞれですからね。
ずいぶんと脱線しましたが、節約しないと投資が出来ないのであれば、まずは投資先は自分なんじゃないかな。投資は余剰資金でするもので、切り詰めてまで投資をして、得られるものがお金だけっていうのは、ちょっと寂しいんじゃないかな。と、そんな事を、珈琲を挽きながら考えた朝でした。
と、話を締めつつもこんな事を考えたのは、と説明させてください(笑)
朝、子どもが起きて、いつもならYouTube!と連呼するところを、今朝は何故だか「ドリル!」と言ってひらがなとカタカナのドリルをはじめたんですね。お友達がドリルをやっていると聞いて燃えた様子です。昨日も頑張っていたと聞きました。良いお友達がいるんだな。とじんわり感動しました。人に刺激されて努力をする。ステキですね。切磋琢磨という言葉がありますが、なんとも良い言葉です。人を励みにしたり、人を励ましたり。そんな関係を幼稚園児がしていて、負けてられんな。と幼稚園児の我が子から励まされるというのも、なんともありがたいお話です。
そんな気持ちを長々書かせていただいたブログでした。