僕らは皆、生きている

僕らは皆、生きている

はつおい歯科室  べいちょうです。

最近よく思うのですが、私たちって輝かしい物語の王様・女王様よりもいい生活をしていますよね。

夏は涼しく、冬は暖かく、日々の寒暖も衣服とエアコンなどで楽々過ごせます。年中同じ様に食べられて、パンとお米を選べて、年中アイスが食べられて、ちょっと出かければお寿司だって格安で食べられて、時間があれば原産地まで行って旬のお食事がいただけます。暇なときには古今東西の映画やアニメ、本や雑誌、漫画、何でも簡単にアクセスできます。夜中でもボタンを押せば明るくて、ちょっと出かければちゃんとした食事も食べられます。そもそも車を多くの人が持っています。特に浜松では、学生でも“自分の車”を持っています。勉強だってし放題。ただの情報が大量にあって、お金を出せば著名人や偉人とも接点を持てます。

絵本で読んだ王様や女王様、王子様も王女様も、こんなに豊かな暮らしは出来ないでしょう。それを考えると、現代の私たちはなんて恵まれているんでしょう。なのに、日本には不幸感を抱く人がとても多いようです。147ヵ国中で55位だそうで。日本は1位でもおかしくないと思っています。こんなに物であふれていて、便利で、不自由がなく、理不尽が無く、恵まれているのに、あと何があれば「幸せ」になるのでしょう。

ただ、確かに「幸せ」とはあまり思っていない節が私にもあります。
「幸せ」は古くは「仕合せ」という言葉で「よい巡り合わせ」や「よい結果である」といった意味だそうで。世界でも言葉の種類が多い事で知られる日本語で、古来は「幸せ」がなかったとすれば、もしかしたら私たちには「幸せ」なる感情が難しい概念なのかもしれません。

私のイメージは髷を結った武士が湯浴みをして「極楽じゃ」とつぶやくシーンなのですが、どこから来ているイメージなのでしょう。しかし、あれが「幸せ」という言葉なのだと思います。が、やはり後世からの後付けですよね。やっぱり「幸せ」という言葉が我々に馴染まない説がありますね。それでもやっぱり恵まれていて、それを理解できてはいない様にも思います。「近くにコンビニが無くて不便」という言葉をよく耳にしますが、コンビニが無い事が少し前までは普通だったはずなのに、いつの間にか。便利で使われたポケベルはケータイに変わって、ガラケーと呼ばれて、スマホになって。最先端だったウォークマンはアイポッドになってスマホに飲み込まれましたね。家庭用ゲーム機がファミリーコンピューターで普及して、どんどん進化しつつ、やはりスマホに飲み込まれて。なんでもかんでもスマホで出来る様になって。

便利ってもしかしたら不幸なツールなのかもしれません。SNSが不幸感を助長するという研究は何年も前から何件も何件もありますが、それでも普及は止まらないようで。幸福感は目指す先ではないのかもしれませんが、たぶん、仕事を辞めて、本来の個人に戻ったその瞬間に、「幸せ」が必要な事だと気が付くのかもしれません。「幸せ」を忘れられる日々の生活と後から押し寄せる「不幸感」は本当はどちらも得られるはずが、「便利」に阻まれているのだとしたら。

捨てる事は出来ませんが、お付き合いの仕方は考えなくてはなりませんね。

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