コーラスで気が付く「あー」と「うー」に感情をこめて。コーラスが教えてくれた「言葉」の向こう側コーラスで気が付く

コーラスで気が付く「あー」と「うー」に感情をこめて。コーラスが教えてくれた「言葉」の向こう側コーラスで気が付く

はつおい歯科室 べいちょうです。

私、大学の頃から「コーラス(合唱)」をやるようになりまして。 思い返せば、小学校の頃の音楽の授業で『もののけ姫』を歌ったのかリコーダーで吹いたのか、とにかく「ソプラノ」のパートにいた記憶があります。 しかしそれ以来、中学と高校では合唱には触れませんでした。男子校だったという事もありますし、そういった部活動自体が無かったようにも思います(記憶が曖昧ですが)。

大学に入ってコーラスに出会って、本当にたくさんの歌を歌いました。 日本語の曲もありますが、ラテン語やドイツ語、ロシアの民謡、果ては何語か分からない謎の歌まで。

何が言いたいかと言いますと、**「歌というのは、なぜだか意味が分からなくても歌える」**という事です。

練習の中で何となくの意味は指導されたように思いますが、いざ歌う時は「楽しそうに」とか「堂々と」とか、その程度のフワッとした感情のイメージしか分かっていなかったりします。 単語として理解できているのは、「アーメン」とか「ハレルヤ」とか「イェズス」くらいなものです。

そして実は、これは「日本語の曲」であっても同じなのです。 ソプラノパートの皆さんは主旋律としてちゃんと歌詞を歌っていることが多いのですが、私の担当は「テノール」です。 テノールは、ソプラノの音を下から支えたり、和音を作りに行ったり、あるいは何かアクセントをつけたいところで急に歌い出したりするパートです。歌詞の量は比較的多い方ですが、詩一部だけを繰り返したりするため、文章としては全く成り立っていなかったりします。

なので、日本語の曲ですら、実は意味を深く考えずに歌っていたりするのです(笑)。

さらに言えば、ベースやアルトのパートに至っては、曲によっては言語を一度も発しないというか、「お~」とか「う~」とか「ん~(ハミング)」だけで一曲が終わる事すらあります。

しかし、そんな言葉のないパートに対しても、指揮者からは**「もっと感情をこめて!」**と指示が飛んでくるのですから、面白いですよね。 そして実際に、歌い手の「表情」を変えるだけで、声の音色がハッキリと変わるのが、またコーラスの奥深く面白い所です。

私たちは普段、言葉の意味をしっかり理解して言語を使っている「つもり」でいます。 ですが、実はそうではないのかもしれません。

心で強く思っている事と、表情と。 もしかしたらそれだけで、言葉以上に強い「伝える力」を持っているのかもしれません。

私は普段、言葉というものにこだわりすぎて、コミュニケーションにおいてもっと大事な「何か」を忘れてしまっているのではないか。 コーラスに参加しながら、そんな不安というか、恐れというか、危惧のようなものをふと感じる今日この頃です。

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