はつおい歯科室べいちょうです。
今朝もモーニングセミナーに行くことが出来ました。
とまずは自分をほめつつ(笑)
「無理」という言葉について、私は使わない様にしているのですが、無理のハードルが低い人は良く見かけますね。調べてみましたら、近年では「やりたくない」の意味で用いられるそうです。私が「無理」という言葉に嫌感を覚えるのがこれが原因の様に思いますね。
お話をされていた方の職場で事故が合ったそうなのですが、元を探れば無理があった とお話されていました。「無理を通せば通が通らぬ」という言葉がありますが、無理を通して事故につながった、というお話でした。ただ、無理だからと避けていては人は成長できません。難しいところではありますが、自分で無理と決めつける事は避けながら、限界は広げていかなくては仕事はいつまでも同じ事しかできません。客観的に考えて無理なのか、自分を守るために「無理」を利用していないか、自分に問いかけたいなと思いました。
お掃除の仕事を家族からお願いされたというお話も伺いました。なんで自分がお掃除?と思った事もあったそうですが、どうせやるならばと、使う人の事を考えて、利用者の方への挨拶も最初は恥ずかしかったけど元気よく出来るようになったそうです。そんな風にお仕事を続けていると、今まで挨拶をしてくれなかった人も挨拶を返してくれたり、わざわざ挨拶をするために遠回りをしてくださったりという事が有るそうです。自分だけでなくお客さんが変化してしまったというのは、凄く素敵な話ですね。
さてタイトルのお話になります。
良い人生 善い人生 どちらも「よい」人生ですが、どちらが良いでしょうか。
そんなお話がありました。「良い」は比較してよいという言葉だそうで、人よりも、とか過去よりもとか、そんな比較対象が必要になる人生、一方「善い」は道徳的によろしい、という言葉なのだそうです。高級車に乗って大きな家や別荘を持って、会社をいくつも経営したり、町の名士と呼ばれて、そんな人生が「良い人生」なのかもしれませんね。一方で「善い人生」は人それぞれですが、家族が円満で、会社も好調、地域への貢献も出来て、必要としていただける、小さいけれど車も住むところもあって、毎日着る服と御飯がある。そして満足できている。そんな人生が「善い人生」かもしれませんね。私は圧倒的に「善い人生」の為に頑張りたい派ですが、みなさんはいかがでしょう。
話の中で夢と志の違いに触れられていて、「志」を持ちましょう。というお話がありました。世の為人の為の想いや考えが「志」である。というお話でした。そして、志を持つとどうしても苦難・困難に見舞われると。その苦難や困難は成長への足掛かりなので、是非向き合ってください。というお話もありました。人生の主役は自分自身である事を忘れている事はないでしょうか。とそんな問いかけもありました。
考えさせられるテーマで、改めて言葉を定義する事で覚悟が変化するような感覚がありました。
医院の理念とビジョン・クレドを見返して、志を言葉にまとめようと思います。どれも志ではありますが、世のため人の為、という観点で、自分と家族、スタッフと家族、患者さんと家族、地域が善い方向へ進む時に役に立てる様に、という観点で、見直してみます。