はつおい歯科室 べいちょうです。
先日、自分に驚いたことがありまして。
それが、表題「傘をさすと途端に雨が怖くなる」という出来事です。
ちょっと意味が分かりにくいと思いますので、説明をさせてください。
傘が嫌いな私
私は元々、傘が嫌いなのです。
雨が降っていても可能な限り傘を差さず、濡れる方がましだと思っています。
ただ、生活するうえで人と関わりがあります。
心配をされたり、お店を汚してはいけない、車を濡らしてはいけない。
そんな理由から、仕方なく傘をさすこともあります。
「手が濡れるのが嫌だ」と思った自分に驚く
先日、私が別の歯科医院で勤務する日。
雨が降っていまして、最初は「まあいいか」とそのまま行こうと思いました。
しかし、迷惑をかけてはいけないと思いなおし、傘をさしたのです。
少し歩いてから忘れ物に気づいて車に戻り、ドアを開けようとした時。
その瞬間に――「手が濡れないように」と考えている自分がいたのです。
普段なら全身が濡れているから、そんなことは気にも留めません。
でも傘をさした瞬間に、「手が濡れるのが嫌だ」と思ってしまった。
その変化に自分でも驚きました。
「これは呪いだ!」と思いました(笑)
傘の「ばさっ」で世界が反転する
過剰反応かもしれません。
でも、普段なら気にしないことを、傘の「ばさっ」という一瞬の動作が反転させた。
これはすごい力だと思いました。
私が気にしないことを、傘をさしている人たちは気になって仕方がない。
しかも、私はそれに気づきもしなかった。
世界は恐ろしいですね。
傘をめぐる“呪い”の話
私から見ると、傘というのは一種の呪いのようなものです。
傘の下に入っただけで、「濡れずに済む」と錯覚させる。
ある意味では、ちょっとしたエゴのようなものかもしれません。
けれど、他人から見れば私は「傘をさせない呪い」にかかっている。
ずぶ濡れの可哀そうな人に映っていることでしょう。
しかも私が傘を差さない理由は理論的なものではなく、
「嫌だ」「嫌い」という感情論。
論破もできませんし、傘が不要という論理的説明もできません。
もはや目に見えない力が働いているとしか言えない。
紛れもない“呪い”です(笑)
誰にでもある「苦手」とそのトリガー
私はエレベーターも苦手です。
狭い感じや、「落ちたらどうなるんだろう」と考えてしまう。
子どもの頃に川でおぼれかけたことがあり、水の中では今でも若干パニックになります。
家族と過ごす中で、少しずつ克服されつつありますが。
人にはそれぞれ、苦手なものがたくさんあります。
それには必ず何かトリガー(きっかけ)がある。
ほんの小さな出来事で克服できることもあれば、
逆に、ちょっとした体験で深刻化してしまうこともある。
ただ、避けてばかりでは克服はできません。
自分を曝露させて、少しずつ慣れていくしかない。
それをしないと、どんどん穴倉に落ち込んでしまうような気がします。
守られることの怖さ
そんな、守られることの怖さを感じた出来事でした。
傘をさして「守られた」と感じた瞬間に、
雨が「怖いもの」になってしまう。
安全を得ると、失うことへの不安が生まれる。
守られることの中にも、別の怖さが潜んでいる。
そんなことを考えさせられた一日でした。


