最近、生活環境が変わり、改めて「家のことを回す大変さ」を実感しています。
今までは、どこかで“当たり前”になっていたこと。
帰ればご飯があり、洗濯された服があり、部屋が整っている。
でも、その当たり前は、誰かが毎日動いてくれていたから成り立っていたのだと、今になって強く感じています。
仕事をしながら生活を回していくのは、思っていた以上に大変でした。
洗濯をして、掃除をして、ご飯を考えて、片付けをして、ゴミの日を気にして…。
一つ一つは小さなことに見えても、毎日続くと本当に体力も気力も必要です。
特に仕事が終わって帰宅した後は、「今日はもう何もしたくない」と思う日もあります。
それでも生活は止まらないので、結局動かなければいけない。
そんな日々を過ごしているうちに、ふと母の存在の大きさを思い出しました。
母は、毎日こういうことを自然にこなしながら、家族を支えてくれていたんですよね。
ご飯を作ることも、洗濯をすることも、掃除をすることも、簡単そうに見えて全然簡単ではない。
しかも、それを“毎日”続けるということが、本当にすごいことなんだと実感しました。
子どもの頃は、それが当たり前だと思っていました。
家のことは勝手に回っていくものだと思っていたし、「疲れた」という母の言葉の重みも、ちゃんと理解できていなかった気がします。
でも今は違います。
生活を維持するということは、見えない努力の積み重ねなんだとわかりました。
忙しい日でも家のことを後回しにできない。
誰かのために動き続ける。
それを何年も続けてきた母は、本当に偉大だと思います。
そして最近は、母からの「ちゃんと食べてる?」「無理してない?」という何気ない言葉にも、以前より温かさを感じるようになりました。
離れてみたり、環境が変わったりして初めて気づくことってあるんですね。
今まで支えてもらっていたことに、改めて感謝しています。
まだまだ慣れないことも多く、余裕がない日もありますが、この経験を通して、少しだけ大人になれた気がします。
これからは「ありがとう」をちゃんと言葉にしていきたいです。
そして、今までたくさん支えてもらった分、少しずつでも親孝行をしていきたいと思います。
親の存在は、近くにいる時ほど当たり前になってしまう。
でも、その当たり前は、本当はとてもありがたいものなんだと、今強く感じています。
母は偉大。
最近、その言葉の意味を心から実感しています。


