はつおい歯科室 べいちょうです。
私は以前から、**「車が普及したことで、人の感覚は壊れてしまったのではないか」**と思っています。 全くの謎理論なのですが。
車が当たり前になるまで、人間の「移動」というのはとても大変なものでした。 歩くか、籠(かご)に揺られるか、馬に乗るか、あるいは汽車に乗るか。長距離を行くには、馬や牛、人の引く荷車に揺られて……場合によっては、自分で歩いた方が速そうな状態で揺られていたはずです。
そこへ「車」が現れ、個人での移動が格段に楽になってしまいました。 他の乗客を待ったり、馬や牛の機嫌や体調を心配したりしなくて済む。アクセルを踏んでハンドルを回せば、自由自在に、いとも簡単にスピードも方向もコントロールできる。
そのせいで、人はワガママになっていったんじゃないか。 という、とんでもない謎理論を、私は昔から密かに抱いています。
車のように「自分の思い通りに動かせるもの」を手に入れると、人間は何だか、世の中のすべてをコントロールできるような気がしてきます。 部屋の中に入れば、スイッチ一つで室温まで変えられ、極めて快適に過ごせるようになりました。しかし、**快適が広がると、それに反比例して「苦痛への感度」がじわじわと上がっていきます。**ほんの少しの不快にも耐えられなくなり、簡単に苦痛を感じるようになってしまうのです。
昔、中学生の頃に電車に乗っていた時のことです。 自分の乗っている電車が止まっているのに、窓の外の隣の電車が動くと、視覚の錯覚によって「自分が移動している」ような感覚になりますよね。その現象について、友人と話になったことがあります。
友人はこれを**「視覚感覚の進化だ」と言い、私は「体性感覚(平衡感覚)の退化だ」**と主張しました。 もちろん結論は出ないし、どちらでもあるし、どちらでも無いとは思うのですが。「人間の感覚が変化すること」について語り合えたのは、私にとって面白く、とても良い思い出です。
人間の感覚というものは、一日の中でも、数秒の間にも、常に変わりゆくものです。 一方で、人は何だか「何でもコントロールできる」かのように勘違いしてしまう部分があります。時には、他人の心や行動すらも。 しかも、自分の感覚の変化はしっかり意識しておかないと、知らず知らずのうちに偏見を持ったり、勘違いをしたりと、どんどんズレていってしまいます。
春になったと喜んでいたのも束の間、今度は暑くてたまりません。 私が小学生や中高生の頃、学校で「環境破壊によって、日本からは四季が失われる」「自然豊かな日本の森林が失われる」と習いました。今、実際にその通り四季は失われつつあるのかもしれません。
地球や日本という大きな環境でさえ、こんなにも短い期間で劇的な変化を起こしています。 一方で、私たち人間は、内面では一体どんな変化をしているのでしょう。
この「精神的・感覚的な変化」は、後戻りできない不可逆的なものでないと良いのですが。
便利な道具に囲まれながら、ふとそんなことを考える日々です。


