はつおい歯科室べいちょうです。
耳障りの良い言葉と悪い言葉ってありますよね。
意識しないと感じが良いか悪いか、それだけですが。
人はそれぞれモチベーションがあって浮き沈みがあるかと思います。
それは睡眠時間や体調、食事などの良し悪し、適正な忙しさ、人との関わりそんな日常のあらゆる事が関係して“モチベーション”なるものを作っているのだと思います。
私は「モチベーション管理」という考えが苦手です。「上司が部下のモチベーションを管理する!」みたいな研修を何度も受けていて、これからも受けますが(笑) でも人のモチベーションを管理するなんて無理だよなぁって思っていて。だって自分のモチベーションすら管理出来てないですし(笑) しかも彼氏彼女が出来たとか旅行の予定があって楽しみとか、逆に振られて絶望してるとか家族が心配でとか、モチベーションなんて乱高下するものだと思います。私なんて勤務医時代、お酒を飲みすぎて寝不足とか、知らない人とお酒飲んで楽しかったけど終電逃して3時間歩いて帰ってへとへととか、いつの間にか知らないおじさんの介抱しててこの人誰?帰りたいんだけど?とか、そんな人でした。そんな人のモチベーションを管理しようなんて思ったら上司は仕事にならないですよきっと。でもそのモチベーションを仕事に持ち込むのは話が別で。自分のモチベーションを仕事に持ち込んで働く人と一緒に働くのは、疲れますね・・・。
こんな話は非常に耳障りの悪い話です。聞きたくもない話で、もっと突っ込んで書いてしまったら嫌な事ばかりを書かなくてはいけません。ここまで読まれている方は相当“変な”人かもしれません。多くの人は耳障りの良い事しか読みません。
ですが、何かを得たい時って耳障りの良い事なんて殆どないんですよね。いまの新卒社会人はちょっとかわいそうと思う事が有ります。耳障りの悪い事は基本的に“ハラ”に当たるので、何ハラか分からないけど何でもOKな“ハラ”に怯えた上司は耳障りの良い事ばかり言います。凶の出ない占いと同じです。それこそ“モチベーション管理”の為に大吉から末吉までしかありません。「君の為に言っているんだ」という言葉が悪い言葉とされ勝ちですが、だとしたら、自分の為には誰も耳障りの悪い事を教えてくれません。相手のわがままだろうと、相手からしたらそれが望ましいのなら、それを教えてもらえるだけでも良い事じゃないでしょうか。
変な話、究極な話、友人が犯罪を犯そうとしていて、黙って見ている人と「やめろ」と言う人と、どっちが良い友人なんでしょうか。友人が道に迷っていて、正しい(と自分が思っている)道を教えてあげる事は間違っているのでしょうか。
そういう事じゃない!とかその場合はそうかもしれないけど!とか色んな批判がありそうですが、例えお節介でも私なら伝えるにはどうするか考えます。それを言わないのは、自分が可愛いくて、相手を犠牲にして、だと思ってしまうので。
耳障りの悪い事を遠ざけてしまうと、歪んでいってしまう気がするんですよね。
そればっかりだと疲れますけど。
多くの人はモチベーションが下がっている時にネガティブと向き合って、モチベーションが上がっている時にポジティブと接します。私はというと、モチベーションが下がっている時にポジティブと接して、モチベーションが上がっている時にネガティブと向き合います。それはそれで辛いのですが、自分が成長しやすいのはそっちかなぁと思っていますが、どうなんでしょうか。
日本人はネガティブ遺伝子が強いと言います。皆さんはこのモチベーションというナニカとどう接していらっしゃるでしょうか。