等価交換の原則

等価交換の原則

はつおい歯科室べいちょうです。

等価交換という事を初めて意識したのは漫画『鋼の錬金術師』を読んだ時で、私は大学生だったかと思います。それまで等価交換という言葉は知っていましたがその残酷さと言いますか過酷さと言いますか、そういう事を意識したことはありませんでした。

仕事をするにあたって私はこの交換原則と言いますか、色々な原理原則を捻じ曲げていないかと気にするようになりました。夜を朝だと言っていないか、朝を夜だと言っていないか、言葉巧みに詭弁を弄してはいまいか、と抽象的に書きますが。勤務するにあたってはある種の詭弁が味方になる事もありますね。自分の精神を保つために何かを盲信する事は私にとっては大変楽な成長の入り口でした。ただそれは後になって押し寄せてきて心と体を蝕んでいた事に気が付いて、という事がありました。

3月で3年目に入るはつおい歯科室ですが、開院前の気持ちと言うのを今でも思い返しますね。「働く人が幸せな医院を作る」と言うのが私にとっての優先事項でした。歯科医院というのはある種恵まれた業種で、皆保険制度がある日本では、ちゃんとした治療をちゃんとやればちゃんとお金がもらえるというお仕事です。お客さんではなく患者さんを相手にする職業というのが一般的なお仕事とまた違う所でしょうか。

前に勤務していた医院では何が何でも「患者第一!」みたいな医院で、私はそこに共感して働いていたわけですが、「患者さんを第一とする」という事の対価として「自己犠牲」が発生したんですね。そしてそれは私だけではなく、全員が、自分を切り売りして働いている様な感覚でした。私にはそれは続けられないですね。私が大切にしていたのは自分の家族と一緒に働いていたスタッフでした。少なくとも、その医院の為に「心臓を捧げよ!」みたいな事は思えませんでしたねぇ。

『渡る世間は鬼ばかり』というドラマをご存知でしょうか。末娘の夫が訪問診療医で休みなく働いているという設定だったかと思います。もしあの像が先生と呼ばれる職業に求められる像だとしたら、自分と家族を蔑ろにして患者さんに尽くす事が求められるのだとしたら、と考えるとぞっとしてしまいます。それが求められていて自分もスタッフもどんどん体調を崩していったのが以前の勤務先でした。

私はTHE BLUE HEARTSというバンドが大好きなのです。『裸の王様』という曲がありまして、「今夜ぼくは叫んでやる!王様は裸じゃないか!」を連呼する曲です。家臣も王様も、詐欺師の“織った服”が「見えない」とは言い出せず唯一それを口に出来たのは街の少年一人だけでした。その少年の声なのでしょうか。歌詞を読むとですね「みんなも本当はそう思ってるんだよね?僕だけじゃないよね?」みたいな気持ちを感じたり、この曲を聴くと「自分は裸の王様になっていないだろうか?」と不安になったり、するんですね。ひとつの小さい歯科医院でこれだけ悩むのですから王様はさぞ悩む事だろうと思います。誰を信じていいのかいけないのかも分からない王様の気持ちは分からなくはないですが、詐欺師の言葉と見えない服は信じてしまったというのが悲しいところですね。

そこでまた等価交換に戻りますが、自分だけに都合がいい事なんていう事はありえなくて、人の為に周りの為にと頑張ると回りまわって最後に自分が幸せを分けてもらえるような、それくらいが幸せの等価交換には必要だとは思います。が、だからと言って自分の評価を下げたり自己犠牲を払ったり、と言うのは別の話で、経営者がそこに甘えると知らず知らずのうちに小さな得をしていて、後から大きな代価を支払う様な事が起きて、それを人のせいにするような事はよくある事です。色々な経験をして開院を考えていた時は人を雇いたくないとすら思ったりもしましたが、いま思うとそれは非常に愚かな考えで。自分に出来ない事がたくさんあって、それを色々な人と支え合っていて、たまたまそのチームリーダーをさせてもらえる立場にあって、そんなみんなが幸せをつかむ手助けをするのが自分の仕事なのだと、改めてそんな事を思うのでした。

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