はつおい歯科室 べいちょうです。
最近、とても困っているというか、気になっている事があります。 世の中の空気が、「否定的だったり批判的だったりする意見を言うと、頭が良い」という雰囲気になっているように感じてならないのです。逆に、肯定的だったり賛同したりする様な意見を言うと、「単純だ」「軽薄だ」と見下されてしまうような、そんな空気です。
「いや」「でも」から始まる会話の正体
どんな言葉に対しても、必ず「いや」「でも」と否定を置かないと会話が出来ない人というのが一定数います。
そういう人の話を最後まで聞いていくと、最終的には「私は知らない」「私ではない」といった責任逃れな展開に着地していて、「あぁ、やっぱりな」と思ってしまいます。
彼らには何か共通点があるのでしょうか。 人の意見を聞き入れられないとか、相手の気持ちを考えられないとか。しかし、そういう人に限って、どこかで仕入れてきた偏った意見だけはしっかりと自分の中にインストールしているんですよね。
自分だけは真実を知っている、いわば「おはよう」な目線と言いますか。(世の中の裏側に目覚めている、というような感覚ですね。) そんな「おはよう目線」を維持するためには、“頭のよい演出”が必要です。人の意見に流されない(本当はただ話を聞く・理解する事が出来ていないだけなのですが)強固な自分像が必要で、それを手っ取り早く作るためには、どうしても「いや」「でも」という否定詞が必要不可欠なのかもしれません。
無自覚な加害者を生む「トロイの木馬」
しかし実際のところ、その彼らが持つ偏った意見というのは、ネット上でクリックしただけでインストールされてしまった「トロイの木馬」のようなものです。
自分の中に入り込んだ勝手な挙動のプログラム(他人の意見)だからこそ、「私は知らない」「私ではない」という責任逃れの言葉も、彼らにとっては嘘偽りのない真実であるのかもしれません。最終的に「自分は被害者なのだから、私のせいではない」という結論に至るのでしょう。
それがどれだけ人を傷つける内容であっても、そういう人はどこまで行っても被害者のままです。自動的に、その人の脳内では常に「相手が加害者」に変換されてしまうのです。
SNSとエコーチャンバーのリスク
SNSは、そうした思考を助長してくれる最強のツールです。 「エコーチャンバー(反響室)」という言葉があります。自分と同じ意見ばかりが見える小さな部屋(コミュニティ)の中で、つぶやきが共鳴・強振動を起こし、それが世の中のすべての意見であるかのように錯覚してしまう恐ろしいバイアスのことです。
このエコーチャンバーの最大のリスクは、自分たちと異なる意見を完全に排除し、極端な思想がどんどん先鋭化してしまうことです。現実世界での多様な価値観との接点が絶たれ、孤立と対立を生み出します。
偏りのない人間でありたいと思うなら、アカウントを2つ以上作って意図的にそのチャンバー(部屋)を分けなくては、リスクが高すぎてSNSを安全に使えないそうです。反対に言えば、そうしていない人は、すでにSNSのアルゴリズムによって「おはよう」させられちゃっているとも言えそうです。
相手の話を聞く。相手の気持ちを考える。 これはコミュニケーションの最も基本的な事ですが、心地よいSNSの部屋の中ではそんな面倒なスキルは必要ありませんからね。
その界隈に居ればいるほど、人間性が少しずつ陥没していくような気がしてなりません。
「お前はどうなんだ」と不寛容のパラドクス
ちなみに、彼らにとって痛いところ(図星)を突かれた場合の回答も、皆さん聞き覚えがあるのではないでしょうか。
「そういうお前はどうなんだ」
相手を黙らせたり、やり込める事だけを目的としたコミュニケーションをとる方には、ぜひ現実の“こちら側”に「おはよう(目覚めて)」していただきたいものです。
そういう人に限って「不寛容のパラドクス(不寛容な人に対して寛容でいると、最終的に寛容な社会が破壊されてしまうというジレンマ)」に翻弄され、名実ともに“被害者”として完成しつつあったりします。
しかし、「夜明けの来ない夜はない」と昔から言いますからね。 いつか彼らにも、本当の意味での夜明け(目覚め)が訪れることを願うばかりです。


